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忍び寄る不況の影
2006.11.25
タイトル:忍び寄る不況の影

このページの文章は、
前回のページ、「アイトピアの試練
の続きとなっています。

むかしむかし、あるところに…
*「いや昔じゃないでしょ。つい数年前のお話なんだから、
普通に語り出せばいいのに」

Long long ago.  I am ……coffee.
*「私が ……コーヒーです。
…って、ギリギリ通じる英語教室こんなとこでやってどうするの?」

I am coffee. だと、「私がコーヒーです」になって意味が通じないなどとよく言われます。
ですがI am  と coffee の間に少し間をおいて喋るとあ〜ら不思議、
英語圏に行っても意味が通じちゃうらしいんですよ。
本にそう書いてあっただけですけど。(ニコニコ)
*「もういいから、話を始めてよ。しまいにこのサイトに誰もよりつかなくなっちゃうからさ…」


   ************


2002年にさしかかった時点で、
「どうも最近、売れ行きが鈍ってきているようだ…」
と感じたアイトピアでしたが、
『いったいどうすれば、新規のお客さんを増やすことができるのか』
が分からなかったために、対応には二の足を踏み続けていたものです。

*「アイトピアさんって、西暦が2000年になるよりずっと昔の時期から、
“大きいサイズのメガネ”と“アンティークメガネ”を扱ってたよね。
それらの商品じゃ勝負できなかったの?」
そうした商品には根強い人気があったのですが、なにぶんマニアックすぎる商品だったために、
お店の前を通る限られた量の人たち相手では採算のとれない状態でしたね。

なにしろ当店は、“長持ちするメガネ”ばかりを選んで仕入れて作りますので、
一度お買いあげのメガネは次まで随分と長生きなのです。

*「とりあえず、内装と品揃えが問題だったのかな? やっぱりこれからの眼鏡屋さんはオシャレでないと」
そうですね、普通はそのように考えるところです。
ですから当時の私も考えました。
「お洒落なブランドのメガネを集めたら、お客さんが増えるに違いない!」と。

しかし内装を少しづつ近代的に改良し、
いくつかのブランドを選んで目立つ場所に揃えてみたものの、
結果はあまり冴えわたらず――

この考えには、大きな落とし穴が潜んでいたのです。
「そうなの? 2002年だったら、その時期にはもうすでにオシャレなメガネの流行が始まっていて、
オシャレなメガネを置いた大型の店舗には、お客さんがたくさん行ってたよ」

いまにして思えば、そうした「オシャレな大きい眼鏡屋さん」が当時から評判だった理由は、
3つの理由からなっていたはずなのです。

〜オシャレなメガネをそろえた眼鏡店の、3つの成功ポイント〜
理由1 『雑誌やテレビで紹介され、広告を出してお客さん集めをしていた』
理由2 『‘イメージの統一をした品揃え’をしていた』
理由3 『とにかく財力と規模で大きく出て、勝負をかけていた』

このうち最低でも2つを満たした眼鏡店は、当時からそれなりの繁盛をしていたのです。
*「アイトピアさんも、頑張ればそうなれたんじゃないの?」

そうかもしれませんが、アイトピアがこの枠組みで勝負をすることは、
“当時としてはできなかった”
でしょうね。

なぜなら店長・岡本隆博が‘むかし人間’なために流行に乗り切れないところがあり、
雑誌社やテレビで取材されるほどのカッコイイお店には不釣り合いな人物だからです。〔キッパリ〕
*「うわー! このヒト親のせいにしちゃったよ。自分の責任は棚上げにしちゃってる〜!!」

というか、お店のイメージを一新する場合、まずは内装に一気にお金をかけて、
オシャレに改装する必要があったんですよね。
その点、岡本家は基本的に経済観念がケチですから、
私もケチに育てられていたために非常に大改装には用心深く構えており…
*「結局、勝負に行く度胸と自信につながるセンスが足りなかっただけじゃん。
あげくのはてに責任逃れとは、なんてチキン(臆病者)なヒトなんだろう…」

い、いいえ。むしろ大改装などして勝負にいかなくて正解だったのですよ。
当店は『技術が売り』ですから、技術の証明の一環として“大きなメガネ”などを
目立つ場所に品揃えしており、その状態で大改装しても大して、
『イメージそのものの改善』は見込まれなかったはずですから。

*「なんかよくわかんないけど、
‘大きなメガネを目立つ場所に置いたままで大改装しても、お客さんは振り向いてくれない’
って言いたいみたいだね」
その通りです。2002年の時期からいままでで、売れているお洒落眼鏡店を観察していますと、
こんな共通点が伺えます。

『いかにも古い“おじさんメガネ”などの商品を、‘隠す’か‘捨てている’』
私はその当時、
「品揃えにオシャレメガネを足していけば、オシャレな眼鏡屋になる」
と思っていたのですが、そこには勘違いがあったと。本当は、
「品揃えから“おじさんメガネ”を引いていけば、オシャレな眼鏡屋になる」
という要素の方が、むしろはるかに大きかったのです。

*「でも、昔から営業してたメガネ屋さんって、
一見それほどにお客さんが入っているように見えなくても、
けっこう営業を続けていってるように思うんだけどね」
それはですね…、
一つは“地域密着型だと、不況でもなんとかお店がもつ”ということがあります。
アイトピアの場合、場所が大阪の梅田ですので、
地元のお客さんが贔屓にしてくれる地域性があまりなく、
その点では難しい立地だといろいろな人から言われたものです。
*「固定資産税が高いだけで、逆に地域密着型の商売はやりにくいのか…
それで生き残るには‘流行を取り入れて都会の人にアピールする業態’にするしかない、と。
で店長が‘むかし人間’だからそれもできなかったと。……八方ふさがりってやつか」

もう一つは“地域密着型の普通のお店だと、二世帯の暮らしはまかなえない”ということもあります。
高齢の店長一人でなら、なんとか低空飛行でなりたつお店も、
これから貯金が必要とか、学費を捻出しないと、とかいう人が家族の中にいた場合は…
*「子供が大人になる過程で、とかくいろいろとお金が必要になるものね。
だから眼鏡屋の息子がお店に入らずに、他のお店に働きに出る『他店出稼ぎ』というケースがあるのか」

将来の切実な心配だけではありません。
‘これまでになかったビジネスを成功させて、ビジネス界の奇人変人って呼ばれたいなー’とか、
‘小遣いをもうちょっと増やしたいな〜 なにせウチの経済観念はケチケチすぎるからなー’とか、
‘お金を貯めてもうちょっとオシャレしたいよー’とかいう欲の皮のつっぱった人物が家族にいた場合も…

*「それ、岡本さんのことだね…。昔からそんなことばっかり考えてたんだ……」
い、いいえいいえ。とんでもございません。私はただ純粋に、
アイトピアの技術力がもっと、大勢の人たちに知られてよいはずだとの切実なる思いに駆られ…
*「はいはい。小遣いが欲しいとかオシャレしたいとか、分不相応な夢想にふける前に、
そういうことはビジネスで成功を勝ち取ってから考えるようにしようね。
だいたいどうして、一時期にせよ相当に客さん集めに苦しんだ時期があったのさ?」

といいますか… さきほど言いましたとおり、
店長の岡本隆博が‘むかし人間’だったのがいけなかったのですよ。
*「またそれか」

父は、いつも私にこう言っていました。
「さいきんのオシャレなメガネはどれもこれも、フィッティングがぜんぜんできんな〜。
しかもレンズの上下が浅すぎて視界が充分に取りにくいもんが多いし、
メガネはやっぱり、昔ながらの普通の形がいちばんやな〜」
ということで、当時のアイトピアには一昔前のセンスの、普通のメガネばかりが置かれており、
およそ都会人のお洒落心を引きつけるようなものではありませんでした。
マニアにはたまらない品揃えだったかも知れませんが。

*「ふ〜ん、ようするに“父親にセンスと商才が足りないからしんどくなったんだ”って言いたいワケね。
じゃあどうやって、岡本真行さんがアイトピアの不況を乗り切ったのかをこれから、
ゆっくりと聞かせてもらおうじゃないの」

といいますか… 私にもっと、本物の商才があれば、
店を建て直すのに2年も3年もかからなかったんですよね…
私のは、努力と悪運によって偶然育てられたビジネスパワーに過ぎず、
まだまだ修行の途中なのでいわばこれからなんですよね。
にしてもここまで、ほんとに遠回りしましたよ。遠くて長く、辛い道のりでした。ああつらっ
それでは次回、『お客様アップへの道』をご期待ください。

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