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‘ビジネスの師匠’との出会い
(2006.12.10)
ひとつ忘れていたことがありました。

前回の更新分より、少し時は戻りますが…
私は、『大阪梅田地下街マップ』の計画をはじめる前の段階で、
ある場所で開かれた某異業種交友会に出席していたのです。

*「岡本さんの時間感覚の記憶って、けっこうあいまいなんだね」
あぁ、あいまいな、日本の私…
その某異業種交友会にて、
このサイトの『‘いやし会’について.1』のページでご紹介した藤本健二さんが来られて講演されたことは、前回分で申し上げました。

そしてその講演の中身はたしか… “人情を重んじた経営の大切さ”についてでしたね。
私は席の一番前に陣取って、お話を聞いていましたので、その点ははっきりと覚えておりますよ。
*「具体的には、どんなことを話されたの?」

そうですね… 私の拙(つたな)い記憶の糸をたぐってみますと、藤本氏はそのとき、このようなことを言われた気がいたします。
「先日、私が大阪の地下街で、昔からの顔なじみに出会ったときのこと、
『藤本さん、あんたネクタイ曲がってるよ』と言われ、返事として返したのが、
『そういうあなたこそ、ズボンがヨレヨレですよ』というふうなことでして……」

*「なにそれ?」
申し訳ありません。もうこれだけしか覚えておりません。
でもとても役に立った講演でした。それだけは確かなことなのです。〔ウルウル〕
*「もういちど小学校に入学して、人生やり直した方がいいと思うよ……」

そしてそのお話を聞いた後、なぜか『大阪地下街案内マップの計画』が、
おぼろげながら形を結び始めていた状態から一気に昇華をして、
私の脳内で完成に至ったという経緯があったのです。
*「どこをどうやったら、そのお話が大阪の地下街の地図を作るという計画に結びつくというのか…」

おそらくその要因は、『親しみやすさ』と、『地域社会の復活』というキーワードによって、説明がなされるに違いありません。
すっかりと近代化の波を受け、世知辛くなった大阪の地下街で繰り広げられる、昔ながらの世話ばなしの数々…
そこから導き出されるのは、‘前近代的なる何か’を今に伝えるお店を再発見し、その価値を見直し、
読み替えていこうというテクスト・クリティークに相違ないのであり……
*「何言ってんのこのひと」

ともかく、藤本氏のお話を聞いて、大阪の地下街の計画が完成したのですよという旨を、
手書きのお手紙にしてお送りしたのですよ。氏のご住所に関しましては、ある場所にて公表されておりましたし。
*「で前回の引きが、‘そのお手紙をお出ししたら、藤本氏からお返事が来ましてね……’だったかな」

そうです。手書きにてしたためられたお手紙が返信されてきまして、その後FAXにて、
「よかったら一度、大阪の喫茶店ででもお話ししましょう」とのこと。
そして後日、藤本氏が全国を飛び回るお忙しい業務の中、大阪にやってこられました。
*「……」

〜某喫茶店にて〜
藤本氏「う〜ん、こんなことやる人、僕がいままでビジネスの世界にいて一人もいなかったよ」
私「そ、そうでしたか… しかし私は、‘梅田の街に人情を取り戻す’という意図のもとに、
ひいては家族と一緒に私が働く眼鏡店のアイトピアが、お客様に恵まれるお店に生まれ変わるためにですね… かくかくしかじか」
藤本氏「たしかに、人情は伝わってきたよ。なんていうか、感動した」
私「いや〜、藤本先生の講演を聴いていら、なんとなく浮かんできたアイデアで完成した計画だったのですよ」
藤本氏「…。僕のあのとき話したことをどう解釈したらこの企画になるのかは分からないけど、
ようするに岡本さんは、この地図を作ることで何をしたかったのかな… そこが釈然としなくてね。
この地図を作ることで、お客さんが増えるとは思えないんだけど
私「ギクッ! え、えーとですね。確かにお客様が増えることはありませんでしたが、
自分自身で立案したこの計画を実行することで、私は随分と多くのことを学ぶことができ、つきましては…」
藤本氏「たとえば、お客さんに来て欲しいのなら、方法はいくらだってあるんだよ。
店頭に出す看板に、人目を引く目立つような仕掛けをしてみたり、フレーズ・キャッチコピーを工夫してみたり…」
私(い、言えない… 父親の経済観念がケチケチかつ私への信用が皆無すぎて、
看板を作るお金すら、私の考えた言葉では書かせてもらえないだなんて、言えない……)
藤本氏「あなたが、ビジネスの勉強をとてもよくしておられる人だということはわかるんだけど、
この地図を作った狙いだけがいまひとつわからなくてね…」
私「え、え〜とですね…〔あたふた〕 私はいまのところ、まだビジネスの修行中でして、
かたっぱしからいろいろなアイデアを出して経験を積みながら、
お金を出しても確実に成功できるビジネスの極意を会得しようという算段なのですよ。ハアハア…〔焦〕」
藤本氏「あ、そうなのか、いまはまだ、いろいろと試行錯誤している段階だったと…」
私「この地図を作ったことを通じて、新聞社のかたに取材も受けられましたし、(掲載はされなかったけど)
だんだんビジネスのなんたるかが分かってきたような気がしているのですよ。
いわば本格的に仕掛けていくのは、これからということですね〔開き直り〕」
藤本氏「そうか… それじゃ、僕が主催している異業種交流会で‘いやし会’というのがあってね。
もし時間の都合が合えば、良かったらそこに出席なさって、勉強されるといいんじゃないかと思う。
僕ももなにかと相談に乗ってあげることもできると思うし」

…というわけで、私は三ヶ月に一度行われる‘いやし会’に出席して、
そのときに藤本氏にお会いして私のビジネスの修行を、いろいろと手引きしていただけることになったのでした。
*「これ、サラリーマン金太郎の台詞集かなにかじゃないの?」
いえ、すべて現実に起こったことなのですよ。世の中にはまだ、
信じられないような超常現象が起こる予知がまだまだ残されているのですね。
そのときから数年がたってから刊行されたあるビジネス書には、こう記されていました。
『ビジネスをするにあたって、‘メンター’と呼ばれる人がもしいたならば、それは例えようもなく幸福なことである。
‘メンター’とは、相談役というか、よき指導者・助言者のこと。長年ビジネスの現場にいて優れた功績を残した人が身近にいたならば、
成功するビジネスモデルと成功しないビジネスモデルを瞬時に、ある種の勘で見分けることができる。
そういった人がいて相談に乗ってもらえる環境であれば、ビジネスでの大失敗を未然に防げることも多くなり、
事業は加速度的に好転しだすであろう』

*「それで次回の、‘ビジネス修行編’に続くわけね」
そのとおりです。それから後の私は、溢れ出すかのようなビジネスのアイデアが思い浮かぶたびに紙に書き記しておき、
‘いやし会’で藤本先生にお会いしたときなどにそれについてお話しし、いろいろとアドバイスをしていただくという修行生活に入ったのでした。
*「‘メンター’の人の重要性について書かれたビジネス本では、こんなことも言われていたんだよね。
『本当にすぐれた‘よき相談者’とは、相談を持ちかけた人にただいろいろと知識を与えるだけではなく、
‘導く’ような接し方を工夫してすることができる』」
そうですね。相談者が自らの頭で考えて、自分で最適な答えを見つけられるようになるよう、うまく‘きっかけ作り’をしてくれるのだそうな。
優れたコンサルタントが、相談に来たクライアントと対話しているうちにクライアント自身に、
やる気が出てくるようなアイデアが浮かぶよう導いてしまうかのように…

*「まあ次回分で、岡本さんがどれだけ無謀で無茶なアイデアを藤本さんに‘相談’したのかがわかるわけだよね」
お察しの通り、相当な数のビジネスモデルを考え出して、いろいろとコメントをいただいて次への励みにしましたからね。
そのせいで私は、‘ウケる文章とウケない文章の違い’すら、瞬時にして見分けがくつほどに成長することができましたので。
*「どうでもいいけど、少なくともこのサイトの奇矯な文体は、多くのまともな頭脳を持つ人々に反面教師にしてもらわないとね…」

次回に続く

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